悪性胸膜中皮腫は,吸い込まれたアスベスト繊維によって引き起こされると考えられる,肺癌の一種です.アスベスト繊維が肺組織に到達すると,繊維の周りに含鉄タンパク質(フェリチン)が蓄積し,アスベスト小体へと成長します. 本研究にてアスベスト小体の内部構造を調べたところ,喫煙者と非喫煙者の間に形態および化学的特徴の差が認めらました.喫煙者のアスベスト小体は非喫煙者に比べて,密度が高く,小さく,鉄に富んでいました.これは肺環境のもと,喫煙により安定的に鉄が供給されるからと考えられます.またアスベスト小体の鉄は水酸化鉄の一種で結晶化度が低いフェリハイドライトの形で含まれ,活性酸素を発生させると考えられているゲーサイトは含まれません.このことは,活性酸素が胸膜悪性中皮腫の原因でない可能性を示唆しています.
アスベストは,不燃性,耐熱性,柔軟性などの特性から,広く工業的に使用されてきた繊維状のケイ酸塩鉱物です.しかし,1990年代には,アスベストと悪性胸膜中皮腫との関連性が確立され,アスベストの使用が禁止されるに至りました.現在,アスベストは広く使用されていませんが,アスベストによる悪性胸膜中皮腫の潜伏期間は非常に長いため(15-50年),禁止以前にアスベストにさらされた多くの人が近い将来この癌を発症すると予想されています.しかし,アスベストがどのように悪性胸膜中皮腫を引き起こすのかは,まだ理解されていません.
これまでのアスベスト小体の研究は,アスベスト小体の小ささ(数ミクロン)からその表面の形態記述や化学組成分析に制限されていました.そのため,アスベスト小体の成長や肺組織との反応関係を言及することができませんでした.そこで本研究ではその内部の形態および化学組成を,透過型電子顕微鏡を用いて観察し,肺環境におけるアスベスト小体の生成と進化を明らかにすることを目指しました.さらに,喫煙者と非喫煙者のアスベスト小体を比較観察し,喫煙がアスベスト小体の生成に及ぼす影響について考察しました.
アスベスト繊維が肺に吸い込まれると,肺貪食細胞(マクロファージ)はこれを分解し無毒化することを試みます.しかし,アスベスト繊維はケイ酸塩鉱物であり細長いため,マクロファージは貪食に失敗します.その過程でマクロファージは外部から鉄分をフェリチンの形で細胞内に取り込み繊維の周りに含鉄タンパク質を集塊させます.その結果,アスベスト小体へと成長し肺組織中に残留します.アスベスト繊維を覆う含鉄タンパク質は,アスベスト繊維の刺激から肺環境を保護すると考えられる一方で,濃縮された鉄により活性酸素の生成を促し肺組織に悪影響を与えるとも考えられていました.しかし,アスベスト小体が悪性胸膜中皮腫を引き起こすメカニズムは未だに明らかにされていません.
本研究では,まず悪性胸膜中皮腫患者(喫煙者と非喫煙者)の肺全摘手術後の肺組織からアスベスト小体を分離し,走査型電子顕微鏡(SEM)で表面を観察しました.アスベスト小体の外観を図1に示します.アスベスト小体は,針状のアスベスト繊維が含鉄タンパク質で覆われた物体を言い,その太さは数ミクロンです.
次に収束イオンビーム(FIB)技術を用いてアスベスト小体を厚さ約100ナノメーター(0.0001mm)の輪切りにして,これを透過型電子顕微鏡(TEM)により観察しました.図2にアスベスト小体の内部構造を示します.左に喫煙者のアスベスト小体を,右に非喫煙者のそれを示します.円状構造の中央に位置する明るい0.1 ミクロン径の物体がアスベスト繊維に対応します.背景に示される明るく交叉する影は,試料を固定するグリッドに対応します.アスベスト繊維は輪状の含鉄タンパク質層の中心に位置し,原形をとどめ腐食していないことが分かります.喫煙者から採取されたアスベスト小体(左)は非喫煙者のそれ(右)と比較すると,密で均一な組織により構成されています.
喫煙者と非喫煙者のアスベスト小体について,形態および化学組成に差異が認められました.喫煙者のアスベスト小体は,非喫煙者に比べて小さく,密度が高く,鉄に富んでいました.このことはタバコに含まれる鉄分が,タバコが不完全燃焼する折に一酸化炭素と反応して鉄カルボニル錯体を形成し,これが煙により肺に運搬された結果,継続的に鉄が肺に供給されたと考えることができます.
分析されたすべてのアスベスト小体を構成する含鉄タンパク質中の鉄は水酸化鉄の中でも結晶性の極めて低いフェリハイドライトから構成されることが明らかになりました.このことは,フェリハイドライトが含鉄タンパク質の殻に包まれたままであり,遊離鉄イオンの発生を抑えていると考えられます.従って,AFB中の鉄分が触媒となり活性酸素を生成している可能性は低く,活性酸素が悪性胸膜中皮腫の原因でないことを示唆します.
以上の観察結果を踏まえ,アスベスト小体の形成モデルを図3に示します.(a,b)アスベスト繊維が肺環境に届き定着します.マクロファージは,これを異物ととらえ貪食をはかるが失敗します.(c)マクロファージの残骸がマクロファージ中の含鉄タンパク質集合体と共にアスベスト繊維の表面に堆積します.この結果,アスベスト繊維のすぐ外側に疎の構造が形成されます.肺胞表面活性剤(LS)や酸性ムコ多糖類(Mps)がアスベスト繊維に付着します.(d)付着した多糖が,肺環境から鉄を吸収します.(e,f)マクロファージの堆積及び多糖による鉄の吸引プロセスが繰り返され,含鉄タンパク質に覆われたアスベスト小体が形成します.(g)喫煙者の場合,タバコの煙から安定的に鉄が供給されるため,密の構造が形成されます.(h)非喫煙者の場合,鉄の供給が安定せず,密ならびに疎の両構造が形成されます.
アスベスト小体の内部組織構造を,地球化学的手法を用いて観察しました.喫煙者と非喫煙者のアスベスト正体を比較し,その構造に違いがあることを明らかにしました.これらの観察から喫煙習慣により肺に継続的に鉄が供給され,密で鉄に富んだアスベスト小体を形成することがわかりました.また,アスベスト小体の主成分である含鉄タンパク質は結晶度の極めて低い水酸化鉄のフェリハイドライトで構成されており,形成時の含鉄タンパク質(フェリチン)の膜で保護されている可能性が高いといえます.このことはアスベスト小体からは活性酸素が生成されていないことを示唆します.
一方,フェリハイドライトは表面積(体積比)が著しく大きく化学反応性の高い水酸化鉄であり,水溶液中の重金属を効率よく吸着する能力を有しています.さらに,喫煙者の鉄に富む密の組織はフェリチンからなるインクルージョンが密に集合したものであり,全体としての重金属の吸着はより強力になるに違いないと考えられます. 中村ら(2009) は,長時間かけてここに重金属が濃縮された結果アスベスト小体がラジウムのホットスポットを形成し,ここから継続的に発生する高エネルギーアルファ線によるDNA損傷が癌をもたらすモデルを提唱しました.更なる検証が必要です.